星をとる丘 後編

 今となっては凋落してしまった――もとい凋落することもなくわたしの生家は貧乏であった。
 わたしの父は、腕のいい指物師でいつも酒ばかり飲んでいた。金がなくなれば仕事をして当座の金は稼げたのだから、貧しくてもまずまず気楽な、楽しい生活だったのだろう。
 今以上に幼かった時分のわたしは、そんな父を軽蔑していた。時分の持てる力を出し尽くさないのは、つまらない生き方だと思いこんでいたのだ。けれども、 もしも父が寝る暇も惜しんで仕事をし続けたとしたら、できあがってくるものは最近とみに増えた大量生産のつまらないものとほとんど変わらなくなっていただ ろう。
 わたしは、人間に生み出すことにできる『よいもの』とはいったい何なのかということが今もわからない。
 宝石は、いい。その美しさは、結局原石の良さによるところがいい。よい原石を丹念に磨き上げれば『よいもの』ができあがる。むしろよけいな手を加えないことが、宝石を扱う上での肝だ。
「……」
「どれ、列車が出る前に一つ捕まえられるといいのだが」
 星を捕まえるなんて、ホラにしても途方もない話だ。
「この丘はこの国で一番星をとるのに適している」
 『私達』氏は、ぼろ布の間から毛皮の手袋に包まれた手を宙に向かって差し出しながらつぶやく。
「……空気が澄んでいるから?」
 標高でいえば、この丘はそう高いところではないはずだ。ここより標高の高い山はこの国にいくらでもある。なにせここは列車の線路をお通せる程度の丘にすぎない。
「緯度が近いだけでなく、この丘に吹く風はアルメニアににている」
 『私達』氏は、川底に沈んだペンダントでも探す手つきで宙をまさぐっている。
「はぁ――」
 寒い。小高い丘の上で、風を遮るものがないせいか、空気そのものが凍り付いているようだ。
 いくら両手をこすりあわせても、とたんに熱が奪われていく。小さく足踏みをしているのだけれど、まるで冷気と踊っているようだ。
「ああ、つかまえた」
 『私達』氏は、宙に両手を掲げている。
 満天の星の下、銀色のシルエットが空から星をとる。
「……」
 わたしは空を見上げてる。星の数は、本当に一つ減ったのだろうか。
 どうも、減ってはいないように見える。
「これが私達アルメニアの星とりだ」
 『私達』氏は手袋に包まれた手でそっとわたしにそれを差し出した。中からライム色の光を発している、小さな小さな透明な結晶。
「カクテルに入れるのもいいし、小さく砕いてなめてもいい」
 天から取り出した星を、そんな風に使ってしまっていいものだろうか。
「これを君に送ろう」
 『私達』氏が星をわたしに向かって差し出す。
「そんな……お返しできるようなものを持っていません」
 これは本当の話だ。星がいくらするかなんてことには関係なく、わたしはびた一文だって、持っていない。
 白状してしまえば、わたしは列車の乗車券だって持っていないのだ。トランクの中には、本当に身の回りの品しか入っていない。
「これは私達から、あなた達への贈り物だ。どうか受け取ってほしい」
 そんな風にいわれてしまうと、なんだか受け取ることが義務であるように感じられてしまう。
 とっておきの、もらったきり使っていない手ぬぐいに星を落としてもらう。
「ありがとうございます」
 『私達』氏はほほえんで手を振って見せた。
 わたし達の背後で、列車が汽笛を鳴らした。もう、出発時刻になってしまったようだ。
 わたし達は、無言のまま握手を交わした。

 軽いトランクを担ぐようにして列車に飛び乗る。発車のベルは待ちかねたように真夜中の無人のホームに鳴り響く。
 車輪を軋ませながら、列車はゆっくりと進み出す。
 アルメニアの星取は、まるで祈るように両手を天に掲げていた。