刺青の蟻前編 刺青一等法師(ほりものいっとうほうし)


「おぅ、また裏の刺青一等法師のとこに行くのかい?」
「なんでぇ八つぁん。おめぇさんもたまには坊さんのありがたい話でも聞いた方がいいぜ」
 そうはいっても、実際には大工の熊五郎はちょっと暇ができると将棋の駒をもって裏の寺の住職を訪ねるのだ。
 熊五郎は、大工の腕を生かして自分専用の駒を作るという趣味があるのだ。
 貧乏長屋の隣に住んでいるのが安部八。仕事もしないがこれと行って遊びもしない。
 二人そろって汚らしい無精髭を生やしているが、どことなく子供じみた顔つきをしている。
 二人ともおかみさんの尻に敷かれているという点では共通している。
 そんな二人の男の横を、先月長屋に越してきたばかりの進太が通りがかった。
「こんちは、おじさん」
「おう、進坊。今日もかぁちゃんの手伝いかい?」
「うん、今日は猫のノミ取りするんだ」
 そういって進太は狼の毛皮で作った手袋と、猫を酔わせておとなしくさせるためのマタタビの入った袋を掲げて見せた。
「はぁ、猫のノミ取りッてぇと、一匹一匹手で捕まえるのかい? そりゃあ気のなげぇ仕事だぁな」
「なにいってんだい八つぁん。江戸っ子なのに猫のノミ取りもしらねぇのかい。まったく野暮だねぇ」
 狼の毛皮で作った手袋で猫を撫でてやると、より温かい方へ移動する修正をもったノミたちは手袋のほうへと移ってくる。あとは外で手袋に移ったノミをよく払い落とすだけだ。
「ははぁ……なるほど考えたもんだね」
「ところで進坊。その毛皮の手袋は、どこで手に入れたんだ?」
「あのね、裏のお坊さんがくれたんだ。ノミ取りのやり方も、お坊さんが教えてくれたんだ」
 進太は毛皮の手袋を掲げて喜色満面である。
 そんな進太の顔を見た熊五郎も我知らず笑みを浮かべている。名は体を表す、ではないが熊五郎はその名の通り熊のようないかつい大男だ。そんな男が、少年を見つめてニヤニヤと笑っているのだから不気味なものがある。
 この時代、お稚児さん遊びは大名から下々のものにまで広がっているのだ。
「しかし進坊。おめぇさんは本当に感心なガキだな」
「そんなことないよ」
 謙遜してみてながらも、やはりまんざらでもなさそうに照れ笑いしてみせる進太だった。熊五郎は、そんな少年の頭を乱暴になでつける。
「おじさん達、おいらもう行くよ」
「おう、がんばってきな」
 二人の中年男は、跳ねるように去っていく少年の後ろ姿を見送った。
「しかし……あの刺青一等法師がなぁ」

 江戸の街には、粋(いき)を競うという悪い癖がある。
 たとえば刺青一等(ほりものいっとう)。一年に一人だけ、彫りもの会に選ばれるもっとも『粋』な刺青を彫り込んだ者にこのあだ名が与えられる。
 江戸では、一般的に刺青と書いて『ほりもの』と読む。現代でいう『入れ墨』は、捕らえられた犯罪者(主に窃盗)の腕に彫られる墨一色の輪の彫り物を『入れ墨』と呼んだ。
 やはり、捕らえられた犯罪者ということで、堅気の者からは敬遠されて、同業者からは侮蔑される。江戸時代の入れ墨とはそのようなものだったのである。
 たいして刺青(ほりもの)は、彫り師が各々に工夫を凝らして、人の肌という画布に大輪の花を咲かせたものだ。色が多くなればなるほど、彫るのに時間がかかる。黒で輪郭を彫ってから、その黒が肌に完全になじむのを待ってからふたたび次の色を彫り込んでいく。
 刺青一等。任侠ものや歌舞伎役者に留まらず、一介の町人や、果ては坊主までもが選ばれるという。
 そこでは身分など関係なしに、純粋の刺青の『粋』が競われた。
 そんななかで、進太親子の暮らす長屋の裏手にある寺を守る住職が、今年の刺青一等に選ばれたのだ。
 男女を問わず、このあたりでそれを知らぬ者はいない。しかし実際にその刺青を見たものは、多くない。
 ちょっとした事情があって、むやみに人に見せることができぬのだ。

...(後編に続く)



ランキングです。ご協力お願いします。